わろてんか|月刊キタムラのモデルは雑誌ヨシモト!斬新だった

 

朝ドラ『わろてんか』では、新たに北村笑店に加わることになる楓のアイデアで、

自前の月刊誌「月刊キタムラ」を制作することになります。

 

この月刊誌によって専属芸人を宣伝して、寄席に客を呼び込もうとの算段です。

 

月刊誌ではまず手はじめに、漫才師に転身したリリコと四郎のコンビを宣伝することになります。

 

自分のところの芸人を売り出すために月刊誌を制作するというのは斬新なアイデアですが、

実はモデルとなっているのは戦前の吉本興業部が発行していた雑誌「ヨシモト」です。

 

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月刊ィタムラのモデルは雑誌ヨシモト!斬新だった

 

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大衆娯楽雑誌「ヨシモト」は昭和10年(1935年)8月に創刊されました。

 

 

発案は当時の吉本興業の文芸部に所属した秋田実(万丈目のモデル)らです。

 

他の記事でもご紹介しましたが、当時の文芸部は東大や京大出身のエリートたちが多く在籍し、

様々なアイデアを出して所属芸人たちを援護射撃しました。

 

また昭和5年(1930年)の桂春団治ラジオ出演事件をきっかけに、マスメディアの力を知った

吉本興業部は積極的にメディアを利用する戦略に転じます。

 

そんな経緯もあって発刊されたのが、前述の雑誌「ヨシモト」でした。

 

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同誌は6070ページくらいのボリュームで、人気の漫才や落語の噺が読めるほか、

新作漫才やコントなども多数掲載されていました。

 

また「100万円をもらったらどうするか?」を芸人たちに聞いて回ったりといった企画も

挿入して、読者を飽きさせないような内容になっていました。

 

当時の興行会社がこのような雑誌を出版するのは異例で、寄席ファンにはたまらないような内容でした。

 

しかも雑誌は10で売り出さていましたが、当初から採算はとれていませんでした。

 

この点に関しては吉本側も当初から覚悟しており、あくまでも雑誌「ヨシモト」の狙いは

落語や漫才のファンを拡大して、寄席にお客を来させることでした。

 

この雑誌はなかなか思い切ったアイデアのもとで発刊されていたのですね~まさに

「損して得とれ」の考え方です。

 

このように斬新なアイデアで話題性も高かった雑誌「ヨシモト」でしたが、2年足らずで

廃刊に追い込まれてしまっています。

 

理由は日中戦争の勃発による紙不足や紙の高騰です。

 

ただでさえ採算度外視のスタンスでしたが、紙の高騰によってもはや看過できないレベルにまで

達してしまったようです。

 

ドラマでも楓が知恵を絞ってこの雑誌がモデルとなっている月刊キタムラを刊行することに

なりますが、その内容なども楽しみですね~

 

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